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2015年2月13日

日本言語聴覚士協会インタビュー 第3回
北海道日本ハムファイターズ 石井裕也投手

 石井裕也投手は、今年、プロ野球選手になって11年目のシーズンを迎える。横浜商工高校(現在の横浜創学館高等学校)時代、投手としての実力はプロ野球のスカウト担当者にも知られていたほどだったが、卒業後は三菱重工横浜に入団し、5年間、社会人野球をしていた。 2004年のドラフト会議で中日ドラゴンズから指名され、プロ野球に転向する。その後、2008年から3年間横浜ベイスターズで、2010年からは北海道日本ハムファイターズの左腕投手(背番号13)として活躍する。

 石井投手には、先天性の聴覚障害がある。専門用語で「感音性難聴」と呼ばれる神経性の難聴で、音が内耳でうまく電気信号(情報)に変換されない。この障害では「音が聞こえない」「言葉を正確に聞き取れない」「聞こえていても、意味がわからない」などが起こる。左耳はまったく聞こえず、右耳は補聴器によって、かすかに聞こえる。このため、「サイレントK」と呼ばれることもある(注:「K」とは三振のこと。スコアブックに付けるとき、三振はKとマークを付けることから)。
 野球はチームメンバーが連係しながらプレーをしていくが、石井投手の場合はどうしているのか。野球のときの様子から結婚生活の話まで、インタビューではいろいろ話してもらった。

野球ではチームメンバーがお互いに声をかけあってプレーしていきます。でも、石井投手はマウンドに上がるとき、補聴器のスイッチを切っているそうですね。ワンプレーごとに、どのように判断しているのですか?

石井:そうです。マウンドでは補聴器のスイッチを切って、静かなところで集中力を高めています。(注:補聴器は周囲の音を集めて、増幅させて聞こえるようにしているので、球場の何万人の観衆からの声援は、石井投手には残念ながら爆音になってしまう)。 周りの音も、ボールの音も、まったく聞こえません。

試合中は、打球の高さと速度、あるいは、キャッチャーのジェスチャーを見て、自分の動きを判断します。たとえば、「打球が弱いときはキャッチャーが処理する」、「打球が強いときはセカンドに投げる可能性もある」などですね。また、バッターが即座に体を反転させたら「バント」で、合わせて対応します。
 ゴロや、ホームベースとピッチャーの真ん中に落ちるフライは(目の前で状況が把握できるので)わかります。判断が難しいのは、打球がサードのギリギリのラインに落ちるとき。サードコーチがサード側に動くと、素早くサードに投げて、ベースカバーに入ります。

「ボールの速度を見分ける」と言っても……。

球団広報:ボールの速さとは「ピッチャーのリリースポイントからキャッチャーのミットにボールがおさまるまで、160キロの速球で、おおよそ0.2秒」と言われています。ストップウオッチでカチカチは2秒。その10分1です。

石井:勘です。感覚ができあがっていますから。

石井投手はオフシーズンでも、朝8時には練習場に来て、他の選手より早くグラウンドに出て走り込みやウエート、ピッチングの練習をするという。

<日本ハムファイターズ 選手2年目 白村明弘投手>
初めて、石井投手のピッチング見た時、「これがプロとアマチュアの違い」というほど、驚きました。コントロールにおいて、本当にミスがないです。「キャッチャーのアウトコース行きます」と言いながら投げますが、絶対、外さない。フォームもきれいです。 野球に取り組まれている「姿勢」を学ばせて頂いています。

子どもの頃、どんな練習をしていたのですか?

石井:兄が野球をしていて、僕も小学2年のとき、練習を始めました。当時は野球のことは、あまりよくわからなかったですが、キャッチボールの基本を何度も何度も練習しました。
 自分の体とボールの動き、周りをよく見ながら、練習すればするほど、キャッチボールも守りもうまくなりました。

子どもの頃はジャスチャーで野球ができていても、中学・高校と野球のレベルが上がるにつれて難しいことも出てきたのではないですか?

石井:難しいのは、投手と内野の連係プレー。ベースカバーの判断ですね。アウトにするためには、早く走らないと間に合わないので。キレをつくるために走り込みをして、スピードアップするなどして、体を鍛えています。ピッチャーとキャッチャーのバッテリーも大事ですよね。

野球をするうえで、大切にしていることはどんなことですか?

石井:日々のコミュニケーションです。メモに文字を書いたり、ジャスチャーも使ったりして。どうやってベースカバーするか、自分のピッチングフォームのことなど、よくやりとりします。

私たちは補聴器を使ったことがないのですが……。「補聴器を切ってしまう世界」を読者にイメージしてもらえるよう教えて頂けますか。

石井:音のない時間です。そして、バッターに向かって、気持ちで思い切り投げます。気持ちで攻めるのです。だから、バッターに打たれると、気持ちで負けたと思います。

「気持ち」が強いんですね。メンタルトレーニングもしているのですか?

石井:まったく、何もしていません。長いシーズンの144試合で、自分の結果を残さないといけないので。1つ1つの試合をとても大切にしています。毎日毎日、投げています。気持ちで勝つことが大事だと思っています。

尊敬している選手はいますか?

石井:(中日ドラゴンズ)の山本昌選手。同じ左ピッチャーとして、尊敬しています。僕が中日に入ったとき、アドバイスを受けたり、やさしくしてもらったり。すごくかわいがってもらいました。若手の面倒をよく見てくださるので、みんなも尊敬しているんじゃないかな。感謝しています。

野球のどんなところが好きですか?

石井:難しいこともたくさんありますが、楽しいところです。自分でコツコツやれば、うまくなります。

思い出に残っている試合を教えてください。

石井:3年前、日本シリーズでジャイアンツと試合をしたとき、僕が投げて逆転負けしてしまい、とても印象に残っています。一昨年のセ・パ交流戦で、再び、ジャイアンツに完璧なホームランを打たれて……。相手の方が、ずっと上だったと思っていますが。

打たれると悔しいですよね。

石井:当然!でも、気持ちを切り替えて。打たれても、もう1回やりたいです。リベンジしたいです。空振り三振を取りたい。

負けず嫌いですか?

石井:そうです。僕は負けず嫌いです。打たれたら、次は抑え込む。試合で負けても、気持ちでは負けないです。挫折も何度も。でも、いつも攻めていきたいと思います。

野球で大切にしているコミュニケーションは言語聴覚士の訓練が役立ったものですね。 子どもの頃、どんな訓練をしていましたか?

石井:小学校は地元の公立校に通いましたが、言葉の教室(難聴通級指導教室)にも行きました。言語聴覚士と1対1で言葉の発音や声を出す練習をしましたね。発音が難しい言葉は「タ」です。「タッタッター」と言うべきところを、僕は「サッサッサー」となってしまう。一生懸命、練習しましたが、うまくできませんでした。
 言葉の訓練がつらいというよりはイライラして、逃げたいときもありました。

協会副会長 内山:「タ」と「サ」は口の動きが似ているからです。「タ」は舌を上の歯の位置で強く弾く。「サ」は舌の位置は似ていてもやさしく空気を抜くように発音します。

石井:小学生の頃は、友達が話している内容がまったくわからなかった。特に、口が小さいとわからない。僕も話ができませんでした。
 中学生の頃は、かなり理解できるようになりました。どんどん、わかるようになりましたね。 僕の話も周りの人にわかってもらえるようになって。たまに、何を言っているか分からず、落ち込んだこともありましたが。
 大人になってからは、ほとんど問題ありません。大丈夫です。

「コミュニケーションが大事」という話が何度も出てきますね。コミュニケーションの方法は、言葉だけでなく、ジェスチャーも筆記もありますよね。

石井:そうですね、いろいろな方法を使うといいと思います。話すときは、ゆっくり話すようにしています。

球団やチームメンバーはコミュニケーション上、「何か工夫や配慮をしているのか」、何人かに聞いてみたところ、意外にも口を揃えて「障害を持っていると意識していない」と答えた。

球団:「石井さんに対しても、他の方も変わりなく接しています。違和感はありません」

補聴器のメンテナンスはどうしているんですか?

石井:聴力検査をすると、たまに悪くなっていることがあって。先生に音の調整をしてもらいます。
野球をしていると、汗をかいて汚れたり、水がたまっていったりするので、自分で綿棒で掃除をすることもあります。

協会副会長 内山:補聴器は「コミュニケーションの窓口」ですね。

 石井選手は小学生時代の6年間と中学3年のとき、横浜市の公立小中学校で授業を受けるほか、「難聴・言語障害通級指導教室」に通っていた。難聴・言語障害通級指導教室とは、聴覚障害によって学習活動や集団で本来の力を発揮できない子どもに対して、ことばときこえの指導や補聴器の活用支援をする。小学生でも中学生でも、「聞く、話す、書く、読む、(理解する、表現する)」の力を総合的に高めるための指導を受ける。

石井選手が中学3年のとき(注:横浜市では、石井選手が中学3年のときに初めて、中学生のための通級教室ができた*)、聞こえとことばの指導をした横浜国立大学(教育人間科学部)非常勤講師で、補聴&聴覚活用研究会代表の舞薗恭子さん(元教諭)は、当時をこう思い出す。

舞薗:生徒たちには、「聞こえにくいことは不便ではあるが、恥ずかしいことではない」として、発音の学習のほか、コミュニケーションを取るときは確実に伝えあうための方法や、聞こえないときは相手にどのように伝えるかなどを指導しました。また、自信を持って思ったり考えたりしたことを表現する練習として、日記を書いてもらい、そのことをきっかけにコミュニケーションが豊かになるよう会話のやりとりをくりかえしました」
 日記を課題にする理由は、「好きなことを話しているときは、目が輝き、能動的にコミュニケーションを取るから」と言う。

 石井選手は毎週、約束した日時に来室し、60分間、一生懸命、指導に取り組んだという。 「野球が本当に好きで、熱心に取り組んでいましたね。冬も教室が終わって暗くなっていても、野球部に戻っていました」と舞薗さんは言う。
 石井選手は中学卒業後、15年以上経ったいまでも、舞薗さんに年賀状を書き続けているそうだ。

*通級教室…障害の状態に応じた特別の指導の場。全国の地域ごとの公立小中学校で実施され、言語障害・難聴・情緒障害・弱視を対象にしている。

 石井選手は4年前に結婚し、今年1月末には長男が出産したことがニュースとなった。

奥さまとは、どんなコミュニケーションをされていますか?いつ結婚されましたか?

石井:地元の友人の紹介で出会って、結婚しました。3歳上のしっかりした女性です。
おつきあいしているときは、いろいろなところに二人で行きました。
試合も、毎日、見に来てくれました。試合に負けたときは、こうやって(ハグのポーズをしてくれました)。
 (コミュニケーションについては)、心に言葉をためているとよくないので、はっきり言うようにしています。

ご自分の人生を振り返って、同じような聴覚障がいの方にメッセージをお願いします。

石井:自分でできないことは周囲に助けてもらう。周囲にサポートしてもらうためには、コミュニケーションが大事です。周囲には本当に感謝しなければいけないですよね。 みなさんも、しっかり、頑張ってほしいなと思います。

最後に言語聴覚士にもメッセージをお願いします。

石井:話ができるようになって、よかったです。
(言語聴覚士さんは)大事な存在、先生であり、パートナーです。

*聴覚障害教育支援アドバイザーの舞薗さんが代表を務める補聴&聴覚活用研究会のホームページはこちらです。http://www.ha-al.jp/

(インタビュー:日本言語聴覚士協会副会長 内山量史、
執筆:医療ジャーナリスト 福原麻希)

◆石井投手はルーキー時代、高校の英語の教科書(桐原書店「What’s up 2005-6」)にインタビューが掲載されたことは、すでによく知られている。 このインタビューでは、「どうして石井投手も 周囲も難聴を障害ととらえていないのか」 の答えが出ている。石井投手は当時、「私は小学生時代から今まで、ずっとチームで一番の選手でした。……これからは、さらに上を目指します」と話していた。つまり、能力があれば、障害は障害でなくなることを表している。

2014年1月27日

日本言語聴覚士協会インタビュー 第2回 西城秀樹さん

 西城秀樹さんは、2003年48歳のとき、韓国でディナーショー直前に脳梗塞(ラクナ梗塞=脳の細い血管が詰まってしまうことで発症する)を発症。ディナーショー終了後、帰国して入院した。このとき構音障害(ろれつが回りにくく、発音しづらい障害)が残ったが、懸命なリハビリの結果、3年後にシングルCDをリリースし、コンサートを開催できるほどまで復帰した。
 ところが、8年後、再び脳梗塞を発症し、右半身麻痺と構音障害が残った。2年経ったいまの心境とメッセージを紹介する。

毎日のリハビリで、強い気持ちを持ち続けることは、なかなか難しいことですよね。

西城:週2回通院するほか、自宅でも毎日、リハビリテーションをしています。1日3、4回、15分間のストレッチをすること、朝30分程度の音読練習をすることが日課です。
身体を柔らかくしておくことは歩行や日常生活動作のスムーズさにつながります。音読練習は言語聴覚療法のテキストのヘレンケラーや松下幸之助の名言を声に出して読んでいます。

協会広報担当・内山:このテキストのことですか?(と鞄の中から出して、西城さんに見せる)

西城:そうです、そうです。早く読む、ではなく、あせらず、あわてず、丁寧に読むことを心がけています。長い文章であれば、明瞭な発音で読むことがクリアできるまで練習します。2年経って、ようやくスムーズに言葉が出せるようになりました。

 毎日、時間を決めて一人で部屋にこもって練習します。もちろん「今日はやりたくないな」と思うことはあります。でも、そんなときこそ、腰をあげる。家族やスタッフには迷惑をかけられませんから、自分に鞭を打つしかない。リハビリテーションは飽きずに継続していくことが大切ですが、やる気を出す方法など、誰も教えてくれません。「いまよりも、少しずつでもよくなろう」という気持ちがないとダメですね。続けるか続けないかでは、180度、結果は異なります。それは二度の脳梗塞を経験して、よく知っています。

協会広報担当・内山:西城さんはろれつが回りにくく、発音しづらくなる構音障害でしたね。病院でのリハビリでは、おもに腹式呼吸を使って声を出す訓練、口の周囲や舌を動かしやすくする訓練、クリアに発音できるようにする訓練、長い文章をスムーズに読む訓練などをします。退院後も、西城さんは少しでも話しやすくなるよう、スムーズに話せるよう、自宅でもリハビリを続けているんですね。

西城:よくなっているのは音読訓練だけではないですよ。公園を散歩すると、同じ病気の患者さんが「歩き方がよくなりましたね」と声をかけてくださることがあります。自分では気付かない進歩を教えてくださることは励みになります。だから、僕も気付いたら、「この前よりいいですね」とできるだけ声をかけるようにしています。

二度目の脳梗塞でのリハビリは大変な葛藤があったそうですね。

西城:一回目の脳梗塞後、食事内容を変えたり、こまめに水分を摂取したり。ボクサー並みのトレーニングをやめるなど、ずいぶん、気を付けていました。それにもかかわらず、発症したのですから……。「こんなに気を付けているのに!」「なんで、なんだ!」とショックでしたね。

 しかも、二度目は後遺症が重く残りました。自分の考えや思いを言葉で伝えようとしても、唇や舌がしびれたようで動かない。右の手足も自由に動かせない状態でした。 病院では、先ほどの言語聴覚士による音読訓練のほか、10円玉を並べて、それをつまんで取ったり、おはじきをしたりするなど右手の機能を回復させるための作業療法士によるメニューが用意されていました。でも、そんな幼稚園児のようなこと、「やってらんないよ!」と腹が立ってね。さらに、そんな幼稚園児のようなことがまったくできない自分にも怒りが込み上げてきます。「僕はお荷物でしかない」と絶望感に襲われました。

 それでも、決められたメニューをこなしていくうちに、1週間後、筆が持てるようになり文字が書けるようになったのです!リハビリテーションの成果を実感できたことで、前向きに取り組めるようになりました。

協会広報担当・内山:よかったですね!セラピストの患者さんへの対応はどうでしたか。

西城:病院では、特に女性のセラピストは厳しい人が多かったですね。「もっと、こうできませんか」とピシャリと容赦なく声をかけてきます。でも、僕のためにそう言ってくれているとわかると、うれしいですし、気持ちを通じ合わせることができます。
 また、一人のセラピストに相談すると、その内容を病院のスタッフ間で共有してくれているので(「チーム医療」と呼ばれる)、安心ですね。「うちでは、こうやっているんですが正しいですか」と聞いたとき、「こういうやり方もありますよ」と専門的なアドバイスを受けられることも、とても有り難いです。

コンサートでステージに立てるようにもなりました。リハビリでは、どんな工夫をされたのでしょうか。

西城:2013年秋も、ステージで歌いました。音符があると、言葉が引っかからずに発音できるんですよ。ゆっくり丁寧に発音するような感じになります。リハビリテーションに歌を取り入れたらいいのではと思います。

協会広報担当・内山:リハビリテーションメニューにカラオケを取り入れる病院もあります。大きい声をお腹から出すことはとてもいいんですよ。楽しむこともできますね。

西城:あるとき、医師から「いつまで、リハビリを続けますか」と言われて、ギョッとしました。患者にとっては、「何とか生活できる」では困ります。退院後、入浴やトイレで苦労しました。さらに、職業的には「きれいに歩きたい」「ステージでは腕をきれいに伸ばしたい」とも思います。鏡を見ながら、どうしたらいいか考えながら練習します。こんなリハビリに終わりはないですよね。あきらめないことを肝に銘じています。
 本当は人前で話したくないんです。でも、「話そう」「がんばりたい」と思ってコミュニケーションを取っています。
 努力家なのは父親譲りですね。以前のように、話したいし活動したいので、「元旦から酒飲んで楽しい」ではなく、毎日、少しずつでもがんばろうと思います。

ご家族はどのようにサポートしてくださっていますか。

西城:僕に興味がないのか、と思うくらい、妻は普通に接します。でも、心配でないわけがないから、とても気を遣っているんでしょう。勇気がいることだと思います。病気してから、妻のよさを感じることが多くなりました。「あっ、こんないいところがあるんだな」って。

 妻は3人の子どもを育てているので、時間があるときは、シャンプーや風呂で身体を洗うことなどを手伝ってくれることもあります。僕も食後、茶碗を下げるなど、できることはしています。

 3人の子どもたちは、まだ11歳、10歳、9歳ですから、長患いする病気とは思っていないようです。「パパ、早く走れるようになるよね」と言うので、「うん、もうちょっとしたらね」と答えています。それでも、子どもたちは、さりげなく暗がりで手を引いてくれることもあります。

協会広報担当・内山:ご家族の存在はとても大きなサポートになりますね。

西城:そうですね。なかなか、リハビリの効果が目に見えないので、半年間ぐらい気持ちが落ち込んだこともありました。でも、家族の存在は生きること、リハビリに向かうことへの「原動力」になっています。自分一人では心が折れてしまいそうになるものです。家族の負担を減らすことが、いまの僕の励みです。

病気の前後では、生活や人生の価値観が変わるものでしょうか。

西城:性格は変わりました。以前はせっかちで、うまくできないと、すぐ感情的になるタイプでした。最近はそうならないよう、息をのんで待つようにしています。人からどう見られているかより、自分が自分なりにどうしているかを大事にしています。

 生活では、以前は仕事に追われ、眠ることさえ犠牲にしていました。忙しいことを当たり前だと思っていたのです。いまは、生きていることの大切さを感じられるようになりました。自分だけでなく、公園の樹の息吹も、鳥のさえずりも楽しんでいます。気付きが多くなり、見えるものが増えました。
 食べるときも「美食家」になろうと思っています。おいしいものを、「また食べたい」と思うぐらいの量だけ楽しみたい。カロリー計算もしています。外食するときも考えながら食べます。それが楽しいんです。いい死に方をしたいとさえ思うようになりました。

 でも、好奇心は持ち続けています。90歳になっても好奇心があると、気持ちが若いですよね。
好奇心が無くなると、人間は老いていくからです。

おしゃれなデザインで、使いやすいファッションやグッズのアイデアがあるそうですね。

西城:日本のリハビリグッズはおしゃれなものが少ないですね。病気になったら、おしゃれができない、というのはつまらない。気持ちが晴れやかになるように、「あのグッズを使ってリハビリに行こう!」というものがあるといいですよね。女性も楽しめるようなものをつくりたいと思っています。

若手の言語聴覚士にぜひメッセージをお願いします。

西城:患者はセラピストより年上の方が多いでしょう。丁寧に向き合い、患者さん一人ひとりに見合った対応ができるといいですね。ほめ殺しも大切ですよ。

協会広報担当・内山:僕らはハウスバーモントカレーのCMや「ザ・ベストテン」(歌番組)を見て育った世代です。 西城さんがリハビリに自ら行動する姿勢に本当に感動しました。

西城:過去の栄光は過去のもの、歴史は歴史。いまはゼロから始まっています。いまを生きていきたいですね。

(インタビュー・執筆:医療ジャーナリスト 福原麻希)

プロフィール

歌手・西城 秀樹
1955年4月13日生まれ 広島県出身
1972年「恋する季節」でデビュー。73年5枚目のシングル「情熱の嵐」発売。
ヒット・チャート初のベストテン入り、次作「ちぎれた愛」も4週連続1位。
第15回日本レコード大賞歌唱賞初受賞(以降、第16.18回)。
79年28枚目のシングル「YOUNG MAN(Y.M.C.A.)」が、ミリオンセラーに輝くヒット。
日本テレビ音楽祭グランプリ、日本歌謡大賞大賞、FNS音楽祭グランプリ、日本レコード大賞金賞ほかを受賞。
07年IFPI香港(香港のレコード協会にあたる)設立40周年記念のイベントに招かれ、ヒット曲「傷だらけのローラ」「めぐり 逢い」を歌唱し、往年のファン3600人から熱烈な声援を受ける。
12年、ブラジル サンパウロのヴィア・フンシャルにて、23年振りのブラジルでのコンサート。
同年「ありのままに『三度目の人生』を生きる」(廣済堂出版)を発売。

2013年10月25日

2013年10月22日発行の毎日小学生新聞にて、
言語聴覚士の仕事紹介が掲載されました。

毎日小学生新聞「仕事発見!」にて、春日居サイバーナイフ・リハビリ病院の
内山量史先生が、ご自身の経験をもとに言語聴覚士の仕事を紹介しています。


◆掲載紙面のPDFはこちら
※毎日小学生新聞提供

2013年8月29日

2013年8月19日発行の朝日新聞(朝刊)にて、
言語聴覚士の仕事紹介が掲載されました。

朝日新聞(2013年8月19日発行)内の、朝日求人「あの人とこんな話」にて、
春日居サイバーナイフ・リハビリ病院の内山量史先生が、 言語聴覚士の
「仕事内容」や「やりがい」などをご自身の経験をもとに紹介しています。


◆掲載紙面のPDFはこちら
※朝日新聞社提供

2013年7月17日

2013年6月5日発行の琉球新報朝刊「論壇」に、
與儀 賢也氏(一般社団法人沖縄県言語聴覚士会会長)の記事が掲載されました。

記事は、『「失語症者」取り巻く現状』と題して、失語症者の生活の質向上へ向けた環境の整備が求められていることや、医療・介護保険制度などの改訂によりリハビリ継続が困難である状況などについて解説しています。


◆掲載紙面のPDFはこちら
※琉球新報社提供

2013年7月9日

日本言語聴覚士協会インタビュー 第1回 今井絵理子さん

女性ボーカルダンスグループSPEEDの今井絵理子さんは、一人息子の礼夢(らいむ)くん(8歳)のお母さんでもある。礼夢くんには先天性の聴覚障がい(高度感音性難聴)があり、おもに手話でコミュニケーションを取る。
いま、ろう学校小学部の3年生。生活の中で「言語聴覚士」とどのような関わりを持っているか、子育ての楽しいエピソードとともに紹介する。

いま、どんな生活をしていますか。

今井:学校ではドッチボール部にいて、いつも元気に走り回っています。
放課後はプールで泳ぐ練習をするほか、月2回、言語聴覚士さんが来て
くださって「話し方の練習」をしています。
 幼稚部のときから、声の出し方や話し方の練習はしていました。最近、礼夢が「歌を歌いたい」と言い出したので、「もっと、練習する時間が必要だね」ということになり、プライベートレッスンをお願いすることにしました。私がいつも歌う仕事をしているので、礼夢も「声でしゃべりたい」「歌いたい」と思ったようです。

言語聴覚士さんとは、どんな練習をしていますか。

今井:礼夢は言語聴覚士の先生が来てくださるのをとても楽しみにしていて、いつも張り切っています。月2回の指導では、まず口全体や舌を意識的に動かす練習をしています。「話す」ためには、「声を出す」「口や舌の動き」などが重要になるからです。

 声を出す練習では、息を吸ったり吐いたりしながら、のど仏に手を当てて振動を感じています。声が出るときには、身体がどのようになるか、1つ1つ確かめるためです。声帯はのどにある発声器官で、のど仏を触ると発声時の振動を感じることができます。 口の周囲や舌を動かす練習は筋トレのようにくりかえします。話したとき、明瞭な発音になるようにするためです。これらの40分間の指導が終わると、礼夢は運動した後のようにグッタリしています。

 さらに、歌を上手に歌うためには、声が出ること、発音ができることに加えて、音の強弱、速さ、音程を取るなど、いろいろな力が必要です。 ろうの子どもが声を出すこと、さらに歌うことはとても生半可な気持ちでは達成できないと聞いているので、言語聴覚士の先生には「厳しく教えてください」とお願いしています。礼夢自身もそれを乗り越える力をつけてほしいと思っています。

 言語聴覚士さんは聞こえない子どもの「言葉を育ててくれている」んですよ。言語聴覚士さんから言葉をもらって、家族と声で会話ができるようになります。私たちにとって、言語聴覚士さんは「神」のような存在です。

耳が聞こえないことで困ることはありますか。

今井:車が通る音やクラクションが聞こえないので、交通事故がこわいです。歩くときは「白線から外に出たらダメ!」と厳しく言っています。
 買い物に行ったときに、好きな物の売り場にダッシュして迷子になることもあります。名前を呼んでも礼夢には聞こえないので、常に目を離さないようにしています。GPS機能が付いている携帯電話を持たせています。

 小さい頃、1人でトイレに入って鍵をガチャンと閉めちゃったときは、開け方がわからなくて出られなくなり大変でした。おばあちゃんがトイレのドアによじのぼり、天井から助けに行ったんです。先輩ママの場合は、鍵の開け方の絵を描いて、ドアの下から紙を差し入れたというエピソードもありました。

今井さんは2冊の書籍『ココロノウタ』『おやこ劇場』(いずれも祥伝社)を書かれています。
  どのようなメッセージを込めたのでしょうか。

今井:生まれて3日目の「新生児聴覚スクリーニング」の検診で耳が聞こえないとわかりました。詳しい検査を受けたところ、「内耳と聴神経がない」とのことでした。
 そのとき、先輩ママが書いた本やインターネットのブログを読むことは、子育てをしていくうえで、とても参考になりました。そこで、私もこれから産まれてくるお子さんとご家族のために何かできることをしようと思いました。
 特に『ココロノウタ』では、「聴覚障がいがあってもコミュニケーションの方法には、いろいろな選択肢があること」を伝えたかったです。

 礼夢の場合、0歳~2歳までは口話法(こうわほう:話している相手の唇の動きを読み、残っている聴力で聞いたり話したりする方法)を習う教室に行き、言語聴覚士さんから声の出し方やコミュニケーションの指導を受けました。
 3歳からは手話を習い始めました。礼夢にとって、第一言語は手話、第二言語は音声で、と育てています。子どものことをよく理解した上で、最適な方法を選べるといいですね。

2冊目の『おやこ劇場』では小学生になった礼夢くんとの生活について書いていますね。

今井:この時期になると、私にとって「障がいって何?」「普通って、何だろう」という疑問が湧いてきました。目の不自由な方が街を歩いていて、物にぶつかるから「障がい物」なのであって、それがなければ、その人は障がい者ではなくなりますよね。
 すべての掲示物には点字がついているなど、「情報保障(障がい者が必要な情報を受け取れる社会基盤のこと)」があれば、障がい者と呼ばれなくなるのでは。
 『ココロノウタ』でも『おやこ劇場』でも「障がいは、その子どもの個性の一つ」と強調したいと思いました。

 パラリンピックとオリンピックも別々に開催せず、1つの種目の中の「○kg級」のように、クラスを設定してしまえばいんですよ。
 理想は障がいがあってもなくても、一緒に学べる学校があればいいなあと思っています。

子育てでは家族とのコミュニケーションがとても大切ですね。

今井:口話法の教室では、「お子さんには聞こえていても聞こえなくても、目を見ながら、声が枯れるまでずっと声をかけてください」と教わりました。世の中に「言葉が存在すること」を知ってもらうためです。
 私も礼夢に「うさぎだね。うさぎはピョンピョンだね。うさぎは白いね」と声をかけ続けました。意識的に教えないと、礼夢には言葉が入っていかないからです。
 スキンシップも多かったですね。身体で「温かい」「冷たい」「夏はかき氷」「秋はブドウ」と教えていきました。
 コミュニケーションで大切なことは「聞く姿勢」。また、どんなに小さい時期でも、意見や希望は尊重するようにしました。

普通の子育てと同じですね。忍耐が必要ですね。

今井:そうですね。特別な子育てをしているとは思っていません。
 ただ、プールに行って、耳の聞こえる子どもの中で一緒にレッスンを受けている時も、先生の指示が聞こえず、礼夢だけ動かないときがあります。そんなときは、親のほうが焦ってしまいますが、最近は「大丈夫」「何とかやって」「放っておこう」とつぶやきながら見ています。
 礼夢が小さい頃、先輩ママのブログに「焦らず、比べず、諦めず」と書いてありました。この言葉は生きていく上で、家族も仕事も友達関係にもあてはまるので、ずっとみなさんに伝えていきたいと思っています。

ツイッターのフォロワーに言語聴覚士さんが多いそうですね。
  若手の言語聴覚士さんにメッセージをお願いします。

今井:子どもや親の気持ちをくみ取ってくださるような言語聴覚士さんになってほしいです。
 特に、子どもとしっかり向き合える人はコミュニケーションがとても丁寧です。礼夢の性格や日常生活の様子、好きなことなどをよく知っていて、「礼夢くんには、こういうことが合っていると思います」と胸を張って言える人は信頼できます。
 障がいを抱えていても、愛情たっぷりに育てていることをよく理解していただきながら、子どもと向き合ってほしいですね。

協会広報担当・内山:そうですね。私たちは言葉だけでなく、しぐさや表情も見ています。コミュニケーションでは心まで通い合わせる仕事だと思っています。

今井:大変なお仕事ですよね。言語聴覚士が少ないと聞いていますが、心に余裕を持って接することができるように現場の人数を増やしてもらえるといいですね。

インタビュー・執筆:医療ジャーナリスト 福原麻希
監修:日本言語聴覚士協会 常任理事 城間 将江(所属:国際医療福祉大学)

プロフィール

1983年9月22日、沖縄生まれ。
1996年SPEEDのメンバーとしてデビュー。
2000年SPEED解散後、ソロとして活動開始。 2004年 長男を出産。
2008年、日本テレビ「24時間テレビ」で息子の聴覚障がいを公表し、
「障がいは個性。不便だけど 不幸ではない」と手話で伝えた。
現在は再結成したSPEED及びソロアーティストとして活動。
また、ライフワークとして全国の子どもたちと親御さんたちに
笑顔を届けるイベントなどを実行している。
2013年5月より、NHK Eテレ「みんなの手話」OPテーマソング
「LOVE in your HANDS!」の着うた(R)がレコチョクにて配信中。
New Single「はなかっパレード / はなかっパラダイス」
(AVCD-16275 \1,000税込)発売中。

オフィシャルHP http://www.ellymusic.com/

2013年6月7日

2013年5月26日発行の朝日中学生ウィークリー内「ジョブなう」にて、
言語聴覚士の仕事紹介が特集されました。

中学生向けの新聞「朝日中学生ウィークリー」(2013年5月26日発行)内の、
職業紹介コーナー「ジョブなう」にて、春日居サイバーナイフ・リハビリ病院の
内山量史先生が、言語聴覚士の「仕事内容」や「やりがい」などを紹介しています。


◆掲載紙面のPDFはこちら



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